初めてのメダカ飼育(その3):成魚も稚魚も元気に成長! 新たな気付きも!
河原の草むらで捕まえたメダカ7匹の飼育を始めて2か月が経過(前回までのブログ:その1、その2)。
みんな元気に育っているのを毎日楽しく観賞しています・・・と言いたいところですが、、、
プラスチック製の水槽を日当たりの良いベランダに置いているためか、定期的に水の半分程度を入れ替えても直ぐに水が濃い緑色(グリーンウォーター)になってしまい、水槽の壁面にも緑色の付着物が広がり、数日で水槽内の視界が悪くなります。
今日は、水槽をしっかり洗って水もすべて入れ替えたことで、メダカの見栄えが良くなったので、記念に写真を撮りました。
グリーンウォーターも自然を感じることができて必ずしも悪くはない(メダカにとってはグリーンウォーターの方が良いかも?)ですが、たまには綺麗な水槽でメダカ観賞をするのは良いですね。
7匹とも大きく成長しました。
産卵床に産み付けられた卵から孵化した稚魚は、成魚とは別容器で飼育しています。
キッチン用の洗い桶(百均の店で100円でゲット)に水を入れて、成魚の水槽から取り出した産卵床を2週間くらい浮かせていたら、100匹程度の稚魚(針子)が生まれました。
指ですり潰したメダカのエサ(百均の店で100円でゲット)を1日に数回与えていたら、元気に成長しました。
夏になって成長が加速しているようです。
稚魚の育成の過程でいくつか気付きが。。。
- 成魚の水槽から産卵床を別の容器に移さないと、針子は成長しなかった(針子がエサと共に成魚に食べられるのを何度か見かけた)。
- 産卵床の卵が多くなったら、エサを食べる量が減った。
⇒ 水槽(生活環境)中に過剰にメダカが増えないように、また自身の生命を維持するために、成魚は卵や針子を食べることで、適切に生態系をコントロールしているのでは? - 産卵床から卵10個程度を手でつまんで別容器(インスタントコーヒーのガラス容器)に入れておいたら針子は生まれたが、しばらくしてすべて死んでしまった。
⇒ 体が小さくとも、狭いスペースでエサの回数も少ない(1日1回)条件では成長するのは難しい。
魚(メダカ)も植物(ミニトマトやナス)も育てていると、太陽の光、水、栄養分(エサや肥料)など、生物の成長に関わる自然の素晴らしさ・不思議さを実感します。
田舎生活をしなくとも、ベランダでこのような自然現象を楽しめるとは、サラリーマン生活をしていた時には気付く余裕もなく、夢にも想像できなかった喜びです。
ナチスから逃れて屋根裏部屋で幼少期を過ごしたノーベル化学賞受賞者の話【読書感想】
先週、図書館で借りた『これはあなたのもの 1943-ウクライナ』(ロアルド・ホフマン[著]、川島 慶子[訳])は、福井謙一氏と共に1981年にノーベル化学賞を受賞したユダヤ人である著者が、第二次世界大戦中の酷い経験や、当時のヨーロッパ各国の情勢の解説に続き、戦時中の自伝的要素を基に書いた戯曲を記した書籍であった。
著者は化学者であると同時に、詩人・劇作家。
本書の内容は、化学に関する記述はなく、ユダヤ人としてナチスから逃れて屋根裏部屋で過ごした幼少期(1943-44年)の体験が主である。
著者の父親、祖父母4名のうち3名、叔母1名、叔父3名はナチスに殺されたが、著者と著者の母親は、良心のあるウクライナ人(学校の先生)の家の屋根裏部屋に匿われ、戦争を生き抜くことができた。
戦後、著者は母親とともにポーランドを出国してオーストリアとドイツの難民キャンプで過ごし、その後、11歳の時(1949年)にアメリカに移住した。
著者の母親が生まれたポーランドのズウォーチュフ(現在のウクライナのゾーロチウ)は、母親生誕当時はオーストリア・ハンガリー二重帝国の領地(ハプスブルク家領)。その後、ポーランド(第一次世界大戦後)、ソ連(第二次世界大戦後)、ウクライナ(1991年以降)へと現在までに属した国が4つ。
第二次大戦前のズウォーチュフの住民は、1/3がポーランド人、1/3がウクライナ人、1/3がユダヤ人。
1939年、ナチスとソビエトはポーランドを分割する契約を取り決め、1941年までズウォーチュフはソビエトの占領下となり、ソ連の秘密警察(そのほとんどがユダヤ人だったとの噂あり)は、その占領地のウクライナコミュニティー指導者(民族主義者)700名を、ウクライナ独立の先導者と見なして殺害。
ウクライナ人はユダヤ人を嫌悪し、大多数のウクライナ人はナチスに協力して、ユダヤ人殺害を支援した。
本書のタイトル「これはあなたのもの」は、屋根裏に匿ってくれたウクライナ人・デューク家の嫁が、母親の遺品整理中に母親のものでない指輪を見つけ、それを2002年に著者の家を訪れて返そうとしたとき、著者の母親が彼女に発した言葉。
著者らはウクライナ人に金貨や宝石を手渡して家に匿ってもらっていたのである。
生き延びようとする強烈な意思と現地住民の多大なる犠牲的貢献(匿ったことが知れれば殺される)の相互契約。
戯曲では、若く魅力的な彼女が、金品以外をも要求された可能性をほのめかす会話も。。。
著者の母親は、ウクライナ人すべてを「人殺し」とののしる。
また、ユダヤ人の仲間を救おうとして散った英雄である夫を、自分と子供のそばにいてほしかったとの思いから、「あの人を絶対に許さない」と言う。
それは大義の陰に押さえつけられた、社会的弱者の叫び。
著者は、「個々人の善行と集団の罪。それらを忘れずにいること、認めること、そうした記憶と認識のバランスをとることが本書(戯曲)のテーマ」という。
本書では、日本人のためにドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人、ウクライナ人、ソ連人の複雑な関係性が理解できるような工夫(解説)がなされていた。欧州の歴史は、宗教や民族の複雑な対立が常であり、現在のロシアのウクライナ侵攻も、日本人では理解し難い残酷なヨーロッパ史の1ページである。
コロナパンデミックの収束後には、ヨーロッパへの旅行を楽しみにしている。
今は、旅先でのコミュニケーションのために「ラジオ英会話」で充電中であるが、訪問先の歴史や文化を少しでも理解しておくことも、大切なことだと心に留めておきたい。
定年退職後の家庭菜園(ベランダ栽培)初心者(その6):ミニトマト、ナス、リーフレタスはいずれも善戦!
定年退職して初めて挑戦した「ミニトマト」、「ナス」、「リーフレタス」の家庭菜園(ベランダ栽培)。
ミニトマトとナスは4月27日に苗を植え、リーフレタス(レタスサラダミックスとサニーレタス)は5月12日に種を蒔いてベランダ栽培をしています。
今回は前回の報告(ミニトマトはこちら、ナスとリーフレタスはこちら)からの進捗を。
まずはミニトマト。
主枝は第七花房の花芽が出てきました。
第一花房:7つの実が付き、4つ着色(前回報告までに3つの花は実を付けず)。真っ赤になった2つを摘み取り、おいしく頂きました。初めて育てたトマトの味に感激!!
第二花房:7つの実が付き、1つ着色。
第三花房:9つの実が成長中。
第四花房:9つの実が付き、4つの花が開花中。
第五花房:多くの花が咲き、1つの実が成長中。
第六花房:いくつかの花が開花中。
側枝は第五花房の花芽まで登場しています。
第一花房:5つの実が成長し、6つの花は落ちて実を付けず。
第二花房:5つの実が成長。4つ以上の花は落ちたが実を付けるかは不明。
第三花房:15以上の花が咲き、2つの実が成長。
第四花房:いくつかの花が開花。
前回、主枝の第四花房の下の元気な脇芽(側枝)を伸ばして「3本仕立て」を試みましたが、その側枝の花芽の成長が主枝の花芽に比べてとても遅かったので、その側枝は剪定して「2本仕立て」に戻すことに。。。
側枝よりも主枝の方が実が付きやすく成長も早い、上段に行くほど花房の花の数が増える、など実感しています。
ナスは、4つの実が大きく成長。
残念ながら、写真の右下に移っている一番果(めでたく着果した3番目の花の実)は、つやがなく「ボケナス」の様でした。
今日、これを朝取りして、しめじと一緒にレンジで調理して食べてみましたが、ナスの味はほとんど感じられませんでした。
水か肥料が不足しているのでしょうか?
また、花が次から次へと咲くのですが、実を付ける前にこれまで5つの花が落下し、3つは実が全く成長しませんでした。
2つは額の中から小さな実が顔を出しているので、大きくなってくる可能性を期待!
1日2回の水やりと2週に1回の追肥を忘れずに、元気な美味しい実が育つことを楽しみに励んでいます。
リーフレタス(レタスサラダミックスとサニーレタス)は、発泡スチロール箱に6株を残して間引きを終えました。
6株とも葉が大きく成長。
長さが20 ㎝程度になった葉を必要な分だけ摘み取って食べていく予定です。
今年は梅雨らしい梅雨もないまま、もう梅雨明けしましたね。
どの植物も最高気温が30度を超すようになって、成長スピードが加速したようです。
猛暑は歓迎しませんが、今年は例年よりは楽しみが多い夏になりそうです。
定年退職後の家庭菜園(ベランダ栽培)初心者(その5):ナスはミニトマトより難しいかも?
定年退職して初めて挑戦した「ミニトマト」、「ナス」、「リーフレタス」の家庭菜園(ベランダ栽培)。
今日は「ナス」と「リーフレタス」の進捗報告です。
ナスは、4月27日に9号サイズの鉢に苗を植え、支柱3本を使用して脇芽2つを伸ばす「3本仕立て」で育てています。
前回(5/28)のナスのブログ(こちら)では、一番最初の花が咲いてワクワクしていましたが、残念ながら5月31日にその花は落下し、実を付けることはありませんでした。
さらに、その花の上部に付いていた2つ目の花芽の下の部分で主枝が折れてしまい、2つ目の花もダメになってしまいました。
主枝が伸びても適切に支柱に結ばなかったことや、ベランダの日当たりの良い場所に鉢を頻繁に移動していた(振動を与えていた?)ことなどが、主枝の折れた原因でしょう。主枝は太くて丈夫だと思っていたのが意外に弱くて、もう少し優しく取り扱うべきでした。
折れた主枝を切り落とし、側枝2つのうち1つの側枝の脇芽を伸ばした「3本仕立て」に変更しました。
今は、側枝の花が咲きだしましたが、花の雌しべが雄しべと同じ程度の長さしかないので、今回も実をつけるのかちょっと不安です。水は毎日、化成肥料の追肥は2週間ごとにあげているのですが。。。
水はカルキ抜きした方が良いとの情報も見つけたので、6月からはペットボトルに一日汲み置きした水道水を水やりに使っています。
また、ナスはミニトマトと違って、次々と脇芽に花芽が付いたり、1か所から複数の花芽が出たりして、摘花や摘芯などいろいろ選択肢がありそうですね。
どうすればよいのか対応に悩みます。
まずは今の花が実を付けるのを祈るばかり。
受粉するよう花びらが落ちない程度に花を指でピンピンはじいたりしていますが、それでもダメなら植物ホルモン剤の利用も考える必要があるのかも?
リーフレタス(レタスサラダミックスとサニーレタス)は、5月12日に発泡スチロール箱に種を蒔いて栽培しています。
葉が込み入ってきたので、数日前から間引きを開始しました。
間引いた葉は、朝食のパンにロースハム、とりハム、ポテトサラダなどと一緒に載せておいしく頂いてます。
最終的には、レタスサラダミックス4株、サニーレタス2株ほどまで減らして大きく育て、少しずつ摘み取り収穫しようと楽しみにしています。
定年後の家庭菜園(ベランダ栽培)初心者(その4):ミニトマトの「2本仕立て」を「3本仕立て」に変更!
定年退職して初めて挑戦を始めた「ミニトマト」、「ナス」、「リーフレタス」の家庭菜園(ベランダ栽培)。
今日は「ミニトマト」の進捗報告です。
ミニトマトは、4月27日に9号サイズの鉢に苗を植え、「2本仕立て」で育てています。
6月13日時点で、主枝の第一花房と第二花房に計10個以上もの実が付き、日に日に実が大きくなってきました。
第一花房では、残念ながら3つの花に実が付きませんでしたが、その他の実は順調に育っています。そろそろ赤く色付いてくるのかと思うとワクワクしますね。
主枝では、第三花房と第四花房の花が咲きだし、第五花房の花芽も育っています。側枝では、第一花房に実が一つ、第二花房に花がちらほら、第三花房に花芽が登場。
5月30日に追肥として化成肥料をペットボトルのキャップ1杯(約7g?)あげてから、植物の成長も加速したのか、主枝の第四花房の下の葉に元気な脇芽が伸びていて、気が付いたときには脇芽の中に花芽もお目見え。
せっかく成長した花芽を切り取るのはもったいないので、この腋芽は残してそのまま育てることに。
百均のお店で買った支柱(連結式、3本入り)にはジョイントが9本付いていたので、これを3本、支柱の間に針金とビニールひもで結びつけ、「3本仕立て」ができるよう工夫しました。
ジョイントを設置したことで、3本以上の仕立てにも対応できたり、枝を斜め方向に延ばすことも可能になり、できるだけ多くのミニトマトを収穫できるのではないかと期待しています。
植物の成長はホント速いですね。今年の夏は、家庭菜園の成果がとても楽しみです。
「ミニトマト」と「ナス」のベランダ栽培に初挑戦(その3):苗植え付けから1か月!「リーフレタス」も仲間入り!
4月27日から始めた「ミニトマト」と「ナス」のベランダ栽培(過去のブログ:その1、その2)。
苗を植え付けてから1か月たち、どちらも元気に育っています。
ミニトマトは、できるだけ多くの実が得られるよう1番花のすぐ下のわき芽(側枝)を伸ばして「2本仕立て」で育てることとし、5月18日に2本目の支柱を立てました。
5月26日時点で、花房(花芽含む)が主枝に3つ、側枝に1つ。
主枝の第1花房では、6つの花が落ちて萼(がく)の中から小さな青い実が見えてきました。第2花房もいくつかかわいらしい花を咲かせています。
ナスは紫色の大きな花が咲きました。その上に花芽が1つ。
10日ほど前に追肥をしたこともあってか、葉がとても大きく成長してちょっと驚いています。
ミニトマトもナスも花は可愛らしいけれど、下方を向いて咲いているので花の観賞にはちょっと不向きかも。。
前回のブログからの変更点(改善点)として、
- キャスター付きのプランター台(百均の店で200円)を購入
理由: ベランダ内の日当たりの良い場所(時間により変動)にプランターを移動するのに便利。 - リーフレタス(サニーレタスとレタスサラダミックス)の種(百均の店で2袋で100円)を購入し、発泡スチロールの箱で栽培開始(5月12日に種まき)
理由: インターネットや図書館の本で、リーフレタスは発泡スチロールの小さな容器(キリで底に排水用の穴を多数開ける)で種からの栽培も簡単との情報をみつけたこと、培養土(トマト、ナスに使用)が少し残っていて初期費用が安いこと、お手製のとりハムとの相性が良いため(以前のとりハムのブログはこちら)。
リーフレタスは種まきの方法、間引きの方法やタイミング、追肥のタイミングなど、よくわかってないことが多いですが、まずは適当に、彼らが自由に育つのにまかせて栽培してみようと思います。
初めてのメダカ飼育(その2):グリーンウォーターで水槽の視界は悪いが、繁殖に成功!
河原の草むらで見つけたメダカの飼育を始めてはや2週間(前回のブログ:
メダカ飼育を始めたら楽しくてやめられない! - 徒然ならざる定年後散策
)
7匹とも元気に過ごしています。
前回のブログからの飼育環境の変化は、河原から拾ってきた流木を加えて水槽の中が賑やかになったこと。
石と流木のコンビネーションで作ったトンネルの中をメダカたちは楽しそうに泳いでいます。
ベランダの水槽を部屋から眺めることができるように、水槽を置く台として、コメリでフラワースタンド(幅45㎝:698円)を購入。
それをレンガの上に置いて水槽を見やすい高さに調整して、リビングから窓越しにメダカの観賞を楽しんでいます。
ちょっと気になるのは、1週間に一度、1/3程度の水替えをしているのに、水がすぐに緑色になってしまい、水槽の見栄え・視界が悪いこと。
日当たりが良すぎるのか、グリーンウォーター対策は今後の課題ですね。
流木をあく抜きせずに、水槽に入れたのが問題だったのかもしれません。
驚いたことに、雌メダカは毎日卵をお腹に抱え、夕方にはすべて産卵しています。産卵床には多くの卵がぶら下がり、卵の成長も楽んでいます。
前回のブログに書いたように親メダカと別容器に移した卵は、無事に孵化して稚魚が2匹(5月24日、25日に1匹づつ)産まれました。感激です。
とても小さな体でも初日から素早く泳ぐことができて、不思議な感じ。
別容器に移したその他の卵(10個程度)も順次稚魚になりそうな雰囲気です。
一方、親メダカの水槽では、産卵床の卵はまだ孵化していないのか、親メダカに食べられてしまったのか、水槽の中に稚魚は見当たりません。グリーンウォーターのために見えにくいだけ(成長したら気付く)かもしれないので、しばらく様子を見たいと思います。。。
「ミニトマト」と「ナス」のベランダ栽培(その2):順調に育ってます!
4月27日から始めた「ミニトマト」と「ナス」のベランダ栽培(過去のブログ:「ミニトマト」と「ナス」のベランダ栽培に初挑戦(その1))。
これまでやってることは、
ミニトマトは主枝(茎)が日に日に伸びて、5月7日には花が3つ、5月16日には花が5つ咲きました。第二花房にも小さなつぼみがいくつか付き始め、立派に成長しています。
ナスはあまり成長が感じられませんが、購入時の写真を比較すると葉の数が増えてますね。
順調に育てば、どちらも7月には収穫できるはずです。
美味しい果実がたくさん食べられることを楽しみに、植物の成長を見守りたいと思います。
メダカ飼育を始めたら楽しくてやめられない!
先週からメダカの飼育を始めました。眺めているだけでとても楽しいし、癒しにもなります。
メダカ飼育のきっかけは、近所の河原を散歩していたときに、草むらの中に多くの小さなおたまじゃくしや、メダカが数匹泳いでいるのを見かけたこと。
生き物が活発に動き出す季節になったんですね。
子供のころ、池や小川でフナやザリガニを捕まえて遊んでいたのを懐かしく思い出し、童心に帰ってメダカを捕まえて飼育してみようと、メダカの捕まえ方、飼育法、繁殖法を図書館の本とインターネットで調べてみました。
捕獲方法は2つ。たも網で捕まえる方法と、ペットボトル(2つに切断して上部を反対向きに差し込む)にパンくずを入れて仕掛けを作る方法。
早速、たも網を100均のお店でゲットし、ペットボトルは5分ほどで工作して、先日メダカを見つけた河原に出陣しました。
両方法で挑戦した結果、たも網では成果ゼロ。メダカの動きが早くて捕まえるのはまったく無理でした。
一方、ペットボトルの成果はすばらしいです。1時間ほど水中にセットしたら7匹捕まえることができました。7匹のうち1匹は雌だったので、繁殖も楽しめそう(雌雄の見分け方はこちら)。
飼育容器は、室内なら水槽。屋外(ベランダ)なら睡蓮鉢かプランターが一般的なようです。
私は、地震で水槽が棚から落ちて水浸しになるリスクを懸念し、ベランダで飼育することにしました。でも睡蓮鉢やプランターでは横からメダカを観賞できないので、プラスチック製の水槽(横幅25 cm)を買いました。100均のお店で300円でゲット。
水槽の中は、食器用スポンジで手作りした産卵床(作り方はこちら)と、河原で拾ってきた小石でデコレーションしてみました。大小、色とりどりの石はとても良い雰囲気を演出してくれます。
飼育開始の翌日には、雌メダカのお腹に卵があり、午後には産卵床に産卵していました。
とりいそぎ、親メダカに食べられないよう卵の一部(4つ)を別容器に移しました。残りの卵は産卵床に着けたままです。どちらがふ化に適しているか、確認しようと思います。なんだか理科の実験をしている気分です。
無事にふ化するのかとても楽しみです。
「ミニトマト」と「ナス」のベランダ栽培に初挑戦(その1)
先日、ホームセンターをぶらぶら眺めていたら、多種多様のかわいらしい花が並んだ棚の隣に、「トマトの苗」など野菜の苗がいくつも目に留まりました。
これまで家庭菜園には興味を持っていなかったのですが、定年退職し、コロナ禍で長期旅行も難しい状況の中、自宅で過ごす時間が増えたので、マンションでミニトマトを育てられないかという気持ちがふつふつと湧いてきました。
ネットや図書館の本で調べたら、初心者でも簡単にベランダで栽培できそうです。
そこで早速、ホームセンターで野菜栽培の話を聞いてみました。
要約すると、
- ベランダ栽培の初心者には、「トマト」、「ピーマン」、「ナス」がお勧め。これらは簡単に育ち、多くの収穫が得られて楽しめる。
- 新しい土(培養土)を使えば、野菜が実らないなど失敗する可能性は低い。接木の苗であれば、さらに良い(病気や害虫に強い)。
- トマトの花は雨に当てない方が良い(花粉が雨で流れて受粉しにくくなる)。
- 鉢のサイズは9号(直径27センチ)か10号(直径30センチ)がよい(鉢が小さいと収穫が少なくなる)。
- ミニトマトは1.5メートル、ナスは1メートルほどの支柱が必要。
ということで、「ミニトマト」(198円)と「ナス」(198円)の一般的なお勧め苗を1本ずつ買いました。
9号鉢(200円)2つ、鉢の受け皿(100円)2つ、支柱(300円/6本)は100均のお店、培養土(12 L、298円)2袋はイオンで安く売っていたので、それをゲット。
明日、鉢への植え付けをしようと楽しみにしています。
生まれて初めての野菜栽培です。
美味しい野菜がたくさん採れますように。。。
春は桜も良いが、野草の花々も愛らしい!
先週は天気が良い日が多く、ほぼ毎日散歩して桜の花見を楽しんだ。
金沢城、兼六園、犀川河畔、浅ノ川河畔、奥卯辰山、樹木公園(石川県農林総合研究センター)の桜はどこも満開で見ごたえたっぷり。
毎日昼間に散歩できるのは、定年退職者の特権。
もちろん花見の主役は桜。でも、脇役の野草の花々もあちこちに美しく、愛らしく咲き乱れ、特に犀川河川敷では大いに目を楽しませてくれた。
これまでは、春の野草と言えばタンポポ、つくし、クローバー(シロツメクサ)、菜の花、水仙くらい。すみれとレンゲソウの違いすら??。
それ以外の野草にはあまり興味はなかったが、今年はのんびり散歩したためか、退職して心の余裕ができたのか、あるいは引っ越しして生活環境が変わったためか、野草の花々の愛らしさに、ふと気付いた。
しかし、残念ながらほとんど名前がわからない。
早速、図書館に行って野草の図鑑を眺めたが、似たような草花がいくつかあって区別が難しく、私の写真の写し方も良くないこともあり(花と葉にピントを合わせてアップで写しておくべきだった)、結局、ほとんど名前はわからないまま。
それでもよい。ゆっくり誰かに聞きながらでも、覚えていければよい。
金沢で加賀の伝統芸能(加賀万歳と山中温泉芸妓)を堪能!
4月2日(土)、3日(日)に金沢市で開催されたイベント「百万石まちなかめぐり さくら2022」に訪れ、加賀の伝統芸能(加賀万歳と山中温泉芸妓)を堪能した。
金沢は歴史のある、文化・芸術の街。
石川県在住者として、このようなイベントを通して古くから伝わる伝統芸能に触れ、親しんでいくことを「定年退職後のセカンドライフ」の楽しみの一つに加えようと思っている。
「加賀万歳」
前田利家が越中の府中(現在の越前市)を治めていたころ、領民が年頭祝賀に舞った「越前万歳」が、利家の金沢入城後に金沢城下で舞われたのがルーツとのこと。
ツッコミ役の武士「太夫(たゆう)」とボケ役の家来「才蔵(さいぞう)」が、前田氏の梅鉢紋の刺繍が入った真っ赤な大黒頭巾(カマス帽子)や、金色の扇子、独特の衣装を身に着け、金沢の名所めぐりを唄ったり、東京から金沢に到着するまでの北陸新幹線の車中からの眺めを唄ったような現代に即した演目を演じていた。テンポのよい、ユーモラスな「舞い」と「唄い」の掛け合いは、とても楽しく堪能できた。
世界大百科事典によれば、民俗芸能の「万歳」は、平安・鎌倉時代から存在した「千秋万歳(せんずまんざい)」が起源。
「加賀万歳」以外にも全国各地で伝承されているが、一部の地域では伝承者が絶えて廃絶しているとのこと(【万歳】、世界大百科事典)。
「加賀万歳保存会」も現在10名足らずと会員数が少なく、新規会員を募集していた。このような伝統芸能は、ぜひ継承して歴史をつなげていただきたいと願う。
「山中温泉芸奴」
「山中温泉芸妓」は加賀市指定無形民俗文化財「山中節」の伝承者。
山中節は江戸時代、日本海を往来した北前船の船頭が歌った松前追分(おいわけ)や江差(えさし)追分を、浴衣を預かる浴衣べが聞いて山中なまりで真似たのが起源とされる。
本イベントでは、山中温泉芸妓による三味線と唄に合わせ、艶やかな舞が披露された。
山中温泉では、旅館協同組合が「山中座」を運営していて、収容人数180名の劇場「山中座ホール」では、山中節の歌と踊りが愉しめるとのこと「山中座のサイト」。
山中温泉芸妓は、旅館などの座敷のほか、伝統芸能を活用した舞台やイベントに出演して、山中温泉の観光振興と地域活性化の貢献につとめている。
今は新型コロナパンデミックで、観光客が減っているとのことであったが、機会があれば、ぜひ「山中座ホール」を訪れ、伝統芸能を愉しみたい。
【証券投資関連】外貨建てMMF/外債の売買で気付いた節税対策(特定口座[源泉徴収あり]の落とし穴)!
米国の利上げ政策や、ロシアのウクライナ侵攻などの影響のためか、このところ、円安が進んでますね。
そこで、妻が、証券会社で購入していた「外貨建てMMF」の一部を売却しました。
その取引情報を確認すると、なぜか予想以上に課税(源泉徴収)されていました。
ちょっと疑問を感じたので、過去の「取引履歴」や「特定口座年間取引報告書」を見直したところ、今回の課税が多かった原因とその対応策に気付きました。
節税に役立つ情報と思い、以下にまとめてみました。
今回売却した米ドルMMFは、購入時と売却時の為替はほとんど差がなかったのに、売却金額の20%程度が譲渡益(為替利益)とされていて、その譲渡益の20%が税金として源泉徴収されていました。なんとMMFや債券の分配金を上回る税金です。
この源泉徴収って間違ってないか?というのが私の最初の感想でした。
今回の事例を、わかりやすくざっくりとした数値でまとめてみました(分配金や端数は無視)。
- 2016年:米ドルMMFを1万ドル購入し、しばらく後に全額を米ドル債に移動(為替は120円/ドル。購入金額120万円)。
- 2021年:米ドル債が満期になり、全額(1万ドル)を米ドルMMFに移動(為替は100円/ドル)。
- 2022年(今回):米ドルMMF全額を売却(為替は120円/ドル。売却金額120万円)
以上の取引の結果、
2021年は為替差損(譲渡損失)が20万円【特定口座年間取引報告書】。
2022年(今回)は為替差益(譲渡益)が20万円、源泉徴収額(税金)が4万円【取引履歴】
すなわち、2021年に「米ドル債」を「米ドルMMF」に移動したときに、円/ドルの売買をしていないにもかかわらず、譲渡前後の為替差が清算されていたのが、今回の疑問点(課税)の原因でした。
米ドルMMFを購入時と売却時の為替が同じなのに4万円課税されるのは納得しがたく、損をした気がしますよね。
では、4万円の課税は諦めなければならないのかというと、そうでもないようです。
国税庁によると、証券の譲渡損失について確定申告すれば3年間、譲渡所得や配当所得から繰り越し控除できるそうです(国税庁のサイト)。
また、過去に確定申告していなくても(忘れていても)、5年間は遡って申告が可能とのこと。
結論として、来年に2021年の為替差損(譲渡損失)と2022年の為替差益(譲渡益)の「確定申告」をすることで、源泉徴収された4万円は還付されるようです(未実施のため希望的観測?)。
「特定口座(源泉徴収あり)」は確定申告しなくても良いというメリットがありますが、年間の「譲渡損失」が「配当等の金額」よりも多いときには、確定申告を行うことで税金還付の可能性があることを知りました(確定申告には該当年の「源泉徴収票」と「特定口座年間取引報告書」が必要)。
節税のためには、年間の収支がまとめられている「特定口座年間取引報告書」を理解することが重要なポイントです。
今年から定年退職して、収入は激減したものの時間はたっぷりあるので、これまで気にしていなかったことにも興味を持って、前向きにセカンドライフを満喫したいと思います。
最後に留意点ですが、「特定口座(源泉徴収あり)」の場合は、その譲渡損失を忘れて「確定申告」を行ってしまったあとでは、遡っての「確定申告」はできないようです。
疑問点があったら、税務署に確認した方がよさそうですね。
セカンドライフで始めたピアノ【第5報】:「童謡で基本練習」に方針転換!
定年退職後、セカンドライフとして始めた電子ピアノ。電子キーボードを購入して約1か月で童謡2曲(「故郷(ふるさと)」と「大きな古時計」)を両手で弾けるようになったのですが、その後3曲目「赤いスイトピー」(作曲:呉田軽穂(松任谷由実))で大苦戦です。
左手パートが2分音符メインの童謡では対応できたのですが、左手が4分音符になったとたん、何度やっても両手が思うように動きません。左手が和音の場合もなおさらです。ちょっと気分が落ち込んできて、モチベーションが急降下。
そこで、一旦「赤いスイトピー」の練習は中止し、基本に立ち帰って、左手のレベルアップを目的に、再び童謡を練習することにしました。
具体的には、
- 最初は4分の3拍子(左手は「ド・ミ・ソ」の4分音符がメイン)、8小節の「うみ」。
- 次は、4分の4拍子(左手は「ド・ソ・ミ・ソ」の4分音符がメイン)、16小節の「ちょうちょう」。
- 続いて4分の4拍子(左手は「ド・ソ/ミ・ソ/ミ・ソ/ミやシ・ソ/ファ・ソ/ファ・ソ/ファ」の和音を含む4分音符がメイン)、16小節の「チューリップ」。
これら3曲で左手の弾き方を特訓します。
今は「うみ」を両手ともリズムよく、再現性良く弾くことができるようになりました。引き続き、2曲目の「ちょうちょう」を練習中。
近頃、上達が目に見えにくいためか、集中力が1時間も続かなくなってきています。
また、春の陽気につられて外出機会も増え、電子ピアノに触れない日もちらほら。
ただ、最初の目標(2年後までにディズニーの音楽を英語で歌いながらピアノ演奏できるようになる)をできるだけ忘れずに、あせらずじっくりとレベルアップしていきたいと思います。
「逆境を生きる」(城山三郎)で城山氏に興味深々!【読書感想】
先週、図書館で借りてきた『逆境を生きる』(城山三郎、新潮社)は、福岡県立修猷館高校での著者の講演などをもとに構成された書籍であった。
城山氏は、「逆境に逆らうようにして生きた人たちが、周りの人たちを動かし、時代を切り開いていくふるまいに、人間の魅力の本質を感じる。」とのことで、その<人間の魅力>について語るのがこの本の主題であった。
本書では、多くの偉人や著名人が登場する。その中で、印象に残った方々を以下に抜粋した。
- 渋沢栄一: 日本最大の経済人で、近代日本の指導者の一人。『雄気堂々』という小説に書いた。
彼は、目の前にいる人に心のすべてを傾けて応対する。あらゆる機会を捉えて、受信し、吸収し、自らの糧にする(吸収魔)。これはと思ったことをメモし、提案、企画する(建白魔)。そして人と人を結び合わせる名人(結合魔)。江戸幕府が嫌いだった田舎の無名な一青年の、そんな性格が、一橋慶喜、大隈重信などの目に留まり、期待に応える。さらに財界に進出する。
逆境に置かれても、逆境の場で吸収していく。与えられた仕事が面白くなければ、自分で作っていく。いかなる逆境においても失われぬ初心、変わることのない性格が、彼を日本最大の経済人にしていったとのこと。 - 広田弘毅: 東京裁判でA級戦犯として死刑になった唯一の非軍人。『落日燃ゆ』という小説に書いた。
城山氏は、海軍に入隊した体験を通して軍人嫌いになった。なぜ日本はあんな戦争をしたのか、当時の指導者は何を考え、どのような暮らしをしていたのか、<戦争に巻き込まれていった少年>と<巻き込んでいった政治家>を組み合わせた戦争小説を書く予定で、広田弘毅を調べ始めたら、広田が実に立派な人だとわかってきたとのこと。広田の信条は「自ら計らわず」。すなわち、人のために尽くし、自分の利益になるようなことは求めない。東京裁判でもまったく自己弁護をしなかったとのこと。広田家の遺族の方の取材者への応対も立派で、そのやり取りが感動的に書かれていた。 - 浜口雄幸:昭和初期の浜口内閣を作り、日本で最初の福祉立法、労働法の作成、思い切った軍縮をやった。右翼に撃たれても命がけで業務・責任を全うする姿勢を貫いた人。『男子の本懐』という小説に書いた。
アメリカの精神心理学の中に、人間のあるべき姿を追い求め、強くいられるために必要なものは、人間を支える三本の柱、「自分だけの世界<趣味、知的活動、一人飲酒、坐禅など>」、「親近性<家族や友人たちとの関係>」、「アチーブメント<達成>」という考え方があるそうです。
上記の著名人も含め、本書でエピソードが紹介された伊達政宗、毛利元就などは三本の柱をバランスよく太く、充実させていたのでしょう。
城山氏は昭和20年春、海軍に少年兵として志願。終戦前は、国のため天皇のために戦って死ぬことが最高の生きがいだと教育され、世間もそれを当然とする雰囲気だったが、戦争が終わると教師や軍の指導者たち大人たちは、豹変するか、自信をなくして終戦前のことには一切口をつぐんだ。彼自身も「予科練崩れ、特攻崩れ」と散々いじめられた。「人生とは何だろう」「世の中とか国家とかって、一体何なのだろう」を考え続けていたとのこと。
城山氏自身も逆境に生きた人だったのかもしれない。
城山氏の作品群では、「強く生きたリーダーの姿、大きく生きた人間の魅力」に着目して人物が描かれており、大変興味をそそられた。
今後も図書館通いを継続して、多くの城山作品を楽しんでいきたいと思う。