定年おやじの徒然散策

ついに60歳となりました。定年後のシニアライフを紹介します。

「逆境を生きる」(城山三郎)で城山氏に興味深々!【読書感想】

先週、図書館で借りてきた『逆境を生きる』(城山三郎、新潮社)は、福岡県立修猷館高校での著者の講演などをもとに構成された書籍であった。

城山氏は、「逆境に逆らうようにして生きた人たちが、周りの人たちを動かし、時代を切り開いていくふるまいに、人間の魅力の本質を感じる。」とのことで、その<人間の魅力>について語るのがこの本の主題であった。

本書では、多くの偉人や著名人が登場する。その中で、印象に残った方々を以下に抜粋した。

  • 渋沢栄一: 日本最大の経済人で、近代日本の指導者の一人。『雄気堂々』という小説に書いた。
     彼は、目の前にいる人に心のすべてを傾けて応対する。あらゆる機会を捉えて、受信し、吸収し、自らの糧にする(吸収魔)。これはと思ったことをメモし、提案、企画する(建白魔)。そして人と人を結び合わせる名人(結合魔)。江戸幕府が嫌いだった田舎の無名な一青年の、そんな性格が、一橋慶喜大隈重信などの目に留まり、期待に応える。さらに財界に進出する。
    逆境に置かれても、逆境の場で吸収していく。与えられた仕事が面白くなければ、自分で作っていく。いかなる逆境においても失われぬ初心、変わることのない性格が、彼を日本最大の経済人にしていったとのこと。
  • 広田弘毅: 東京裁判A級戦犯として死刑になった唯一の非軍人。『落日燃ゆ』という小説に書いた。
     城山氏は、海軍に入隊した体験を通して軍人嫌いになった。なぜ日本はあんな戦争をしたのか、当時の指導者は何を考え、どのような暮らしをしていたのか、<戦争に巻き込まれていった少年>と<巻き込んでいった政治家>を組み合わせた戦争小説を書く予定で、広田弘毅を調べ始めたら、広田が実に立派な人だとわかってきたとのこと。広田の信条は「自ら計らわず」。すなわち、人のために尽くし、自分の利益になるようなことは求めない。東京裁判でもまったく自己弁護をしなかったとのこと。広田家の遺族の方の取材者への応対も立派で、そのやり取りが感動的に書かれていた。

  • 浜口雄幸:昭和初期の浜口内閣を作り、日本で最初の福祉立法、労働法の作成、思い切った軍縮をやった。右翼に撃たれても命がけで業務・責任を全うする姿勢を貫いた人。『男子の本懐』という小説に書いた。

アメリカの精神心理学の中に、人間のあるべき姿を追い求め、強くいられるために必要なものは、人間を支える三本の柱、「自分だけの世界<趣味、知的活動、一人飲酒、坐禅など>」、「親近性<家族や友人たちとの関係>」、「アチーブメント<達成>」という考え方があるそうです。

上記の著名人も含め、本書でエピソードが紹介された伊達政宗毛利元就などは三本の柱をバランスよく太く、充実させていたのでしょう。

城山氏は昭和20年春、海軍に少年兵として志願。終戦前は、国のため天皇のために戦って死ぬことが最高の生きがいだと教育され、世間もそれを当然とする雰囲気だったが、戦争が終わると教師や軍の指導者たち大人たちは、豹変するか、自信をなくして終戦前のことには一切口をつぐんだ。彼自身も「予科練崩れ、特攻崩れ」と散々いじめられた。「人生とは何だろう」「世の中とか国家とかって、一体何なのだろう」を考え続けていたとのこと。

城山氏自身も逆境に生きた人だったのかもしれない。

城山氏の作品群では、「強く生きたリーダーの姿、大きく生きた人間の魅力」に着目して人物が描かれており、大変興味をそそられた。

今後も図書館通いを継続して、多くの城山作品を楽しんでいきたいと思う。