定年おやじの徒然散策

ついに60歳となりました。定年後のシニアライフを紹介します。

「定年退職」は幸か不幸か?

先週、図書館で借りてきた『定年のライフスタイル』(浜口晴彦、嵯峨座晴夫 編著、コロナ社)という本に、現在の定年退職制度に至るまでの老人の境遇に関する変遷が書かれていました。定年退職した身として、将来訪れる「老人」の境遇の歴史を知ることはとても興味深く、印象に残る内容でした。

この本では、約100年前に書かれた法学者穂積陳重(のぶしげ)の『隠居論』が多く引用されていました。穂積陳重渋沢栄一の長女の結婚相手です。昨年のNHK大河ドラマ「晴天を衝け」でも登場してましたね。
穂積によれば、「原始生存競争」の社会である「原人社会」では、「食料の欠乏」という状況において、必要に駆られて老人を食すなどの食人が行われていたとのこと。この「食老俗」は社会的進化に伴い、「口を減らす」という同じ理由により「殺老俗」という形になる。これがさらに進化した社会で確認される習俗が「棄老俗」
「棄老俗」の有名なものは「をば捨て山」。この説話は古今和歌集にも記述されているそうです。

「食老俗」「殺老俗」「棄老俗」という3つの老人の境遇は、人類が生存する上で必要に迫られて行われた「醜俗」であり、より社会的に進化した「文明社会」では「隠居俗」に発展して、老人の待遇は改善。

「隠居俗」は「老衰して軍役に従事することができないもの、家政を執ることができないものなど、物の用に立たない老人を、隠居所を設けて退棲させる」という習俗です。

明治以前の日本社会の「隠居制度」は、広く一般庶民に行われた習俗というよりは支配層である武士階級に限定されていたようです。それは武家社会における「家」を維持する上での「家長」の責務の新陳代謝を促す制度と考えられます。これが明治期には民法の「家族制度」に再構成され、老いは「老人排斥」の否定的イメージに加えて、「親愛の情」や「智者の念」といった肯定的イメージをも内包するようになり、さらに戦後の大きな社会変化、労働環境変化の中で、「隠居制度」は「定年制度」に変わり、今日に至っているとのこと。

定年退職を迎えたとき、「お金」の不安、「健康」の不安を口にする人をよく目にします。さらには「社会からの疎外感」とか「やることがない」という不安も、私の周りでよく見聞きします。でも、この本に書かれているような老人の境遇の変遷を振り返ると、現在のように社会保障が充実した日本では、高齢者にとってとても恵まれた環境であることに気付かされます。
老いにより仕事ができない境遇になっても、年金が貰えたり生活保護を受けられたりして、生命維持に危機感をおぼえる状況に陥ることは考えにくい社会です。

一方、定年退職を幸せに感じるか否かは、それぞれの置かれた状況、取り巻く環境や立場によると思いますが、それ以上に、各人の考え方に大きく依存するような気がします。
高齢になっても、いろいろなことに興味を持ち、未経験のことに積極的に挑戦して自身の成長を楽しむ、などのマインドで、過剰な不安にとらわれることなく、自由な時間を大いに満喫できれば幸せだと思うし、私自身、そのようなセカンドライフを過ごしたいと思う。

話は変わりますが、「口減らし」の話を見て、以前、「民話の里」として知られる岩手県遠野市に旅行した時に聞いた話を思い出しました。それは、「伝承園」という観光施設の企画「カッパ渕ガイドツアー」で聞いた「カッパ伝説」の話です。「カッパ伝説」で口減らしの犠牲になったのは老人ではなく、子供ですが。。
遠野では、大飢饉で食料がないときに「口減らし」として子供が犠牲になったと伝えられていて、その子供たちが「カッパ」として川で目撃されたという。。。
「口減らし」の対象は、家督を継ぐ長男以外の子供たちです。

飢饉がひどい時には、人口が1/4にまで減ってしまったそうで、川には多くの「カッパ」が浮かんでいたものと想像できます。悲しくて何とも言い表せませんね。
なので、カッパは水の神様です。神様のいる川を汚してはいけない、水を大切にしなさい、という子供への教訓も交えて、民話として「カッパ伝説」が語り継がれているとのお話でした。
今回紹介した本を読んで、改めて「口減らし」など全く想像できない今の「文明社会」への感謝の気持ちを思い出し、振り返ることができました。